①蓮華石

蓮華石のいわれ

 お坊石の1つで、国道の南側、花石神社の斜め向かい側にある大きな石である。この石にも、次のようないわれがある。
 「日光開山の祖、勝道上人はこの石に座し、男体山の勇姿と、それに連なる山々を拝したのだった。やがて悟りを開いた上人は、その連峰を神仏体であるとし、その後中禅寺へ登る折は、ここまで来ると必ずこの石に座し、山々を拝すこととしていた。後に上人が菩薩と仰がれるようになると、“菩薩は蓮台に乗る”ということから、人々は菩薩である上人が坐した石ということで、この石を “蓮華石”と呼ぶようになった。」
 この蓮華石も、子どもたちにとっては、絶好の遊び場 であったようで、他の大石と同様に、お坊石として親しまれ、子どもたちの守護神として 崇拝された。蓮華石の隣には往時お堂があって、蓮華石地蔵が祀られていた。明治の頃火災にあったが、明覚院の僧快吽の命がけの働きで地蔵は救われ、その後、明覚院に安置された。快吽の孫の巴寛一氏の話によれば、地蔵は木造で、足先が焦げていたとか。今は松原町にある。
 参考文献:『日光の故実と伝説』星野理一郎著

お坊石とは

 久次良町から花石町にかけて、7個の大きな石があった。「お坊石」と呼ばれ、「子ども をよく遊ばせてくれる石」「子どものおもりをしてくれる石」という意味であった。最も大き な石を「雄石」、次を「雌石」という。「夜泣き石」「蓮華石」も入る。久次良、花石の両集 落は早くから開けた所で、徳川時代までには社家をはじめたくさんの民家があった。これらの家の子どもたちは、あちらの巨石、こちらの大石に集まっていろいろな遊びをしていたのであろう。現在、「雌石」は特定できないが、「雄石」は山内浩養園にある保晃会碑の台石となっている。
 参考文献:『もうひとつの日光を歩く』日光ふるさとボランティア編

明覚院(みょうがくいん)とは

 中世から山伏の寺であった。50数代を経て昭和6年に途絶えた。元禄2年(1689)には 円空も泊まったらしく、円空仏も有名である。旧日光の寺は、天台宗だが、ここは真言 宗醍醐派の修験である。
 明治の神仏分離で日光の景観が壊されそうになったとき、町民代表として天皇に直訴し日光を護った、巴快寛はこの寺の人である。昭和29年に 堂も仏像も移され、今は跡を偲ぶものは何もない。

 参考文献:『もうひとつの日光を歩く』日光ふるさとボランティア編


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