⑯糠塚稲荷神社

大日橋によって西町を周遊できるようになり、「糠塚稲荷神社」が直ぐ近くになった。
2方向からお参りができるようにできている。

 この「糠塚稲荷神社」は、大日橋を渡り、ぶつかった道を左に曲がると、直ぐのところにある。また、逆方向の「憾満が淵」の方からだと、「十日稲荷神社」の帰りの「憾満が淵」の一本上の道を北上すると、1~2分のところにある。
 さて、この「糠塚稲荷神社」には、記録にすごいことが記されていましたので、紹介いたします。
 「有宇ありう中将物語」によれば、中将は、朝日姫に止められていた妻去川つまさかがわの悪い水を飲んでしまい、どうにか日光まで来たが力尽きてしまう。朝日姫はその亡骸を抱き涙にくれたが、その後上の代(今の和の代)に御殿を造り、朝な夕な日光連山を眺め、大日堂や糠塚を遊園地とし、思い出を風物に紛らして暮らしていた。だが、間もなく中将の後を追ってこの世を去る。二人は、この糠塚に頬塗られたそうな。
 この糠塚は、別名「宝塚」とも呼ばれ、朝日姫が陸奥の国の長者の娘だったことから、姫の亡骸と共にたくさんの金銀財宝を副葬したと伝えられる。
 この伝説を信じて塚を掘り返した人がいたとか。だが、宝はついに出てこなかったということだ。
 また、天保8年(1837)刊の「日光山志」に《近来塚上に稲荷の小祠を祀るといひ》とあり、石祠の一つに宝永22年(1705)の年号がある。
 糠塚稲荷のしもりをしていた小野さんの話によると、戦時中には出征する人々の祈願が後を絶たなかったとのこと。また、祭礼は狐山稲荷とも重なり、付近にはお墓参りの人々が溢れ、実に賑やかだったそうだ。
 当時は大谷川に丸木橋が架けられており、対岸と自由に往来ができたということである。祭礼は旧暦2月の初午におこなわれる。

 参考文献:『ふるさとの散歩道(第3集・1991)』 日光ふるさとボランティア編


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