日本山妙法寺
日蓮宗の宗派の中の一つである。藤井常陸証人(1885~1985 )が始められた宗派で、(団扇太鼓】を片手に、檀家を持たずに、日蓮宗の布教を専門に、法華経のPRを専門に行うという宗派である。
大正7年(1918)10月、中国の遼陽に最初の「日本山妙法寺」を建立し、その後、中国各地をはじめ、国内外に同名の「日本山妙法寺」が次々と建立される。
ここ日光の「日本山妙法寺」もその流れの中の1つである。栃木県には、宇都宮にも同名の「日本山妙法寺」があり、本部は東京都渋谷区神泉8番7号に置かれている。また、この宗派の正式名称は、「日本山妙法寺大僧伽」といい、平成13年(2001)に登録されている同名の寺院数は、全国では130に及ぶ。
昭和17年(1942) 現在地に土地を求め、「日本山妙法寺」設立の準備を整える。
19年(1944) 8月25日【宝塔】(南無妙法蓮華経)を建てる。
切石で作った「基台」は、反り上がった台形で(高さ:2m~2m50cm、縦横の下底:4m60cm、縦横の上底:3m50cm)
「土台石」(高さ:1m、縦横:1m80cm)正面:立正安国、左:日本山妙法寺、右:皇紀2604年(1944) 8月25吉日、日達、裏面:敵国降伏 の記載あり、
「宝塔本体」(高さ:6~7m、縦横:1m10cm)4面とも「南無妙法蓮華経」の記載がある。
34~35年(1959~1960)頃【本堂】と【庫裡】を建て、「日本山妙法寺」が完成する。しかし、【開堂供養】は、藤井日達上人が二度目の渡印中であったため、ご帰国を待って、37年(1962)10月18日に実施した模様である。また、宗教法人の登録を済ませたのは、29(1954)年1月25日ではないかとのご返事であった。このご返答が戴けた老女も高齢でしたので、今は、亡くなられたようである。
令和2年9月現在は、この日本山妙法寺を誰が管理されているのかわからない。草刈りなどは、小ぎれいになされている。今のところ休眠中というところだろうか。
明治18年(1885)8月6日、熊本県阿蘇郡一の宮町坂梨に生まれた。大分県の臼杵農学校に学び、明治36年(1903)に臼杵の日蓮宗法音寺にて出家。大正元年(1912)日蓮宗大学(現在の立正大学)入学。さらに浄土宗大学院、真言宗学林、法隆寺勤学院、真言宗連合大学、臨済宗建仁寺僧堂にて学ぶ。
大正7年(1918)10月、旧満州の遼陽に最初の日本山妙法寺を建立、日本国内では大正13年(1924)に最初の日本山妙法寺を建立する。
昭和5年(1930)にインドに渡り、昭和8年(1933)マハトマ・ガンディーと出会い非暴力主義に共鳴。第二次大戦後は、不殺生、非武装、核廃絶を唱えて平和運動を展開。昭和29年(1954)、ネルー首相より贈られた仏舎利を納めた仏塔を熊本駅裏の花岡山山頂に建設。昭和32年(1957)にネルー首相と会見。また「世界宗教者平和会議」や「世界平和会議」の開催にも尽力した。
参考文献:『ウィキペディア フリー百科事典』
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