④久次良薬師堂

久次良薬師堂入口の碑
久次良薬師堂入口の碑
久次良薬師堂遠景1(道中中程の様子)
久次良薬師堂遠景1(道中中程の様子)
久次良薬師堂遠景2(道中中程の様子)
久次良薬師堂遠景2(道中中程の様子)
久次良薬師堂正面
久次良薬師堂正面
久次良薬師堂正面右から

久次良薬師堂入口の碑文

薬師堂の碑
 碑石の由来 久次良薬師堂は、明応5年(1490年)或はそれ以前の創建による由緒
ある堂宇で、薬師如来と十二神将を祀り、現世利益、応病与薬の守り仏として広く信仰を集め、代々久次良住人によって護持され今日に至る。
 この碑石は久次良薬師堂参道の石橋で、室町時代に先住人が辛苦し架設以来、同堂薬師の要となっていたが、 現橋架替の際その恩徳を忍び道標としてこれを建てる。

久次良薬師堂

 久次良町の北側、小高い岡の上にある。木立の中の、長い石段を登って行くと、そこに、薬師堂がある。この堂が、何時建てられたのかは、明らかではないが、江戸中期の建物と想像される。堂の中の僧形像を安置する厨子の扉裏に明応5年(1496)に、朝乗坊秀円が奉納したという漆の銘がある。堂は4・5m四方の 小さいもので、四面入母屋造りで向拝つき。外部は素木造りだが、内部は朱塗りで、欄間には彩色の梅の 壁画が残る。年代を経て、ややいたみが見えはじめた堂宇は、昭和38年に管理をしている久次良町自治会の手で、補修が行われ、屋根を亜鉛ぶきにし、向拝も改修された。薬師如来は、古くから現世利益、医薬を司どる神として信望が厚く、とくに東照権現の本地仏としても尊ばれてきた。ここにある薬師如来像は、木製で、高さ8mの台座の上にある、金箔押しの、高さ24cm座像。円形光背を 飾り、江戸時代仏像の特色がある。別の舟形光背には承応4年(1655)社家大森称宜大夫の銘がある。薬師像の脇侍、日光・月光菩薩像は、木造金箔押立像で、高さ39cm、ほとんど完全な形で保存されているそれ より少し小さく、高さ34cm立像の、木造黒泥仕上げ十二神将像(三体欠)と、古く、全部の手が落ちるなど、かなりいたんだ十王像(一体欠)がある。また別に、堅固な厨子に安置された、像形像の傑作がある。堂宇は、普段閉ざされていて、内部を見ることはできない。昭和42年2月15日、日光市文化財第13号に指定 されている。また、祭典の様子は、次のようなものであるらしい。

 薬師堂(薬師如来が本尊)のお祭りは、輪王寺住職をお呼びして、毎年5月第一週の土日に行われ、地元民が、春の山菜を使った(フキノトウや山椒など)料理(特に大きな手作りの草もちは格別に美味しい)を仏前に献備して供養をします。また、前夜祭は焼きそばや焼き鳥味噌おでんなども振舞われ、夜遅くまで大人から子供まで大勢集い賑わっています。

 眼の守る仏として信仰されているので、参拝者は半紙にひらがなで「め」の字を三つ書いて奉納します。

 参考文献:『日光 社寺と史跡』 沼尾正彦 著


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