⑫武田久吉墓

匠町の浄光寺(5)

文豪連理塚
文豪連理塚
座禅院権別当の墓
座禅院権別当の墓
武田久吉の墓
武田久吉の墓

 文豪連理塚とは、田岡嶺雲(自由民権運動提唱の評論家)と白河鯉洋(元福岡九州日報編集長)は、大の親友で、嶺雲が日光で客死したため共に葬られた。二人の墓標には、次のような句や歌が刻まれている。

        日光文学散歩路 昭和六十一年設定日光市とある。

 次に、座禅院権別当の墓とは、室町時代およそ二百年にわたって日光山を管理したのは座禅院で、ここの住職がお留守居権別当として座主に代わり山務をとっていた。権別当十五代のうち現存するのは六基のみである。日光市指定文化財になっている。
 最後に、武田久吉の墓は、浄光寺の墓地の右手、最初の石段を上った左の白御影石作りのものである。正面に「武田家之墓」左面に「武田久吉 昭和四十七年六月七日没 享年八十九歳」とある。久吉は、明治初期の外交官アーネスト・サトウの次男で、日本山岳会の創設者の一人。植物学者。多方面にわたる著書がある。

 若い時から日光に遊び、別荘を持ち、こよなく日光を愛し、生前から日光を墳墓の地と決めていたほどである。

 因みに、アーネスト・サトウは、明治十四年、アルバート・ホーズと共著の形で、『A HANDBOOKFOR TRAVELLERS IN CENTRAL AND NORTHERN JAPAN』を発行した。

 これは、外国人向けの最初の本格的な、信頼性の高い案内書として評判となり、外国人の内地旅行に拍車をかけ、日光もこの恩恵を受け、明治十年代後半から、外国人の避暑客がぐっと増すようになった。明治十九年と言えば軽井沢には未だ最初の避暑客が訪れたくらいの年である。

 参考文献:『もうひとつの日光を歩く』日光ふるさとボランティア編『日光避暑地物語』福田和美著


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