①大日堂跡

大日橋(日光市)
新しく架けられた大日橋
これによって西町を周遊できるようになる
大日堂跡
整備されつつある大日堂跡
大日橋上から
往時の大日堂
往時の大日堂
幕末・明治の古写真
(大日堂と庭園1(1876))
日本カメラ博物館蔵
幕末・明治の古写真
(大日堂と庭園1(1876))
日本カメラ博物館蔵
幕末・明治の古写真
(大日堂と庭園2(1876))
日本カメラ博物館蔵
幕末・明治の古写真
(大日堂と庭園2(1876))
日本カメラ博物館蔵
幕末・明治の古写真
(大日堂と庭園3(1876))
日本カメラ博物館蔵
幕末・明治の古写真
(大日堂と庭園3(1876))
日本カメラ博物館蔵
石仏が並んでいるブロックA
川に面して一列に並んでいる
石仏が並んでいるブロックA
川に面して一列に並んでいる
石仏が並んでいるブロックB
川に直角に一列に並んでいる
石仏が並んでいるブロックB
川に直角に一列に並んでいる

 花石町の信号機の先を左へ入ると、すぐ右に丸い自然石の小さい碑が建っている。その碑には、蓮花石村とあり、15名ほどの名が刻まれ、天明7年(1787)4月23日の日付が見える。どうということのないものだが、蓮華石→蓮花石村→花石町(現在)という関連がわかって面白い。この辺りは、平成9年(1997)から12年(2000)の4年に亘って行なわれた「ウォーキングトレイル事業」で整備されていて大日堂跡への道筋は分かりやすい。
 この石碑から右に曲がって、国道と並行に住宅地の中を約400m進むと右側に小さい地蔵尊がある。そして、ここまで来ると、新しく架けられた大日橋が見え、この方向に進むと、橋の手前に、川に降りて行く道がある。すぐ大谷川畔に出ると、そこには広場があって、新大日堂用の基石が整備されている。また、石仏や石碑が並んでいる。ここは、以前に大日堂があった所で、明治35年(1902) の洪水ですべて流され、現在はその面影すらない。
 往時は、美しい池のある庭園の中に堂があり、大日如来の石像が安置されていた。その風光の良さは、 水極澄徹、堂倒映之、恍如入仙境也、とあり、憾満が淵の上流だが、美しさでは、どちらも譲らないといわれた。

明治天皇駐蹕跡の碑
明治天皇駐蹕跡の碑

 現在は、この広場には、湧水を利用した二つの池と新大日堂用の二段になった基石を中心に、広場の周辺に二つのブロックがあって、石仏が並んでいる。川に向かって、並んだものの中ほどに、石碑があり 「明治天皇駐蹕(ちゅうひつ)跡」と刻まれている。明治9年(1876)6月8日、明治天皇が東北巡幸の途路、日光に寄られ、中宮祠への行幸の際、立ち寄られたことの記念碑である。
 その隣り左側に、小さい石碑があり、
「あらとうと青葉若葉の日の光」
と刻まれていて、裏には、読みにくい文字で、古い碑は、洪水で失ってしまったので、明治42年(1909)10月に山川某が再建したものであると記されている。
 日光市役所日光総合支所前の高野忠治氏宅の句碑にある「此真蹟大日堂の碑と異同ありて・・・」とある大日堂の碑とは ここにあった古い石碑のことをさすもので、高野道文が、芭蕉の真蹟を手に入れたところ、そこに推稿中の
「あらたふと木の下闇も日の光」
の句があり、大日堂の碑の句と違うため、自宅に石碑を建てたものと思われる。いずれにしても、現在大日堂跡に建つ句碑は、明治42年(1909)に建てられた2代目の句碑である。

芭蕉の句碑
芭蕉の句碑
 また、芭蕉の句碑の左にある自然石の大きな碑は「多和羅詩碑」という。文政2年(1819)暮春、光哲による建立で、大日堂を賛美したものだが、はっきり読めない文字もある。作者の多和羅、建立者の光哲のいずれについても詳細不明とあった。詩文は次のようなものである。

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