⑰ 古民家 日光

[蒲焼御料理 河内屋]という《うなぎ屋さん》が前身の古民家です。《うなぎ屋さん》といって通っていますが、実際は、《うなぎ》を前面に出して客集めするという商売上手な、割烹料理屋、いや、料亭でした。

 今回の売買のお話が持ち上がったのは、令和2年(2020)5月で、購入したのは、同年6月だったそうです。その後、コロナ感染拡大に伴なう自社の余剰人員を使って、リニューアルを進めて、6か月後の同年12月21日には、リニューアル仮オープンをし、正式なオープンは、翌年、令和3年(2021)5月1日になりました。

 では、「河内屋」のご紹介から始めます。

 初代の”孫七”さんは、大阪 河内の出で、この出身地から取って「河内屋」を名乗ったようです。時期は、江戸期の文化文政の頃と伺いましたので、”文化(1804~17、14年間)”、”文政(1818~29、12年間)”トータル26年間もありましたので、今からですと1804年なら219年前、1829年なら194年前になりますので、ほゞ200年位前にお店を構えたことになります。

  

 そして、この看板を見ると『河孫』の記載がありますので、この”河”は、出自を現わし、”孫”は、名前の「孫七」から取ったものと思われます。この頃は、まだ、名字がなく、名前だけだったとのことで、思い入れが強かったのでしょう。そこで、初代の方が作られたものとすると、この看板は、年代物で、200年前のお店の看板かもしれません。

 また、何代目の時か、名字を付けることが許されるようになると、名字は、お店の名前と同じく、自分の出自の「河内」を名乗ったようです。

 次に、名前は、分からないそうですが、道路を挟んで、反対側斜め前の和菓子屋さん「綿半」から御婿さんを迎えられ、二代目を継いでいただけたとか。また、この二代目の時に”火事”に遭われたそうで、その時には、西町で、10軒もの家が被災(”日光市史下巻に、明治9年1月8日 西町大火110戸消失” とあるが、・・・)されるという大火だったそうです。

 また、この二代目の時に、再建もなされたそうです。実は、娘さんが、日光の有名な”和菓子屋さん”に嫁がれていて、この娘さんと嫁ぎ先のご援助があってのことだったそうです。この再建された建物が、今回のリニューアル対象の建物になります。

 更に、三代目は、二代目と同じくお名前が分からないそうですが、「古民家 日光」即ち「河内屋」の玄関掲げてある『宮内省指定御用 河内屋 河内藤太郎』の表示から見て、この河内藤太郎が二代目か三代目でしょうが、『宮内省』の表記から考えてみて、二代目がこの藤太郎かな。なかなか判断が難しい。

 因みに、『宮内省』とは、古代と近代の日本に存在した皇室事務を司る官庁。近代の物は1869年(明治2年)に古代の物に倣って太政官制のもとで発足した物で、当初の長官は宮内卿だったが、1885年以降の内閣制度下においては宮中と行政各官庁は区別され、宮内大臣が所管した。GHQ占領下の1946年(昭和21年)に縮小再編され、1947年(昭和22年)に宮内府、1949年(昭和24年)に現在の宮内庁になったとある。また、田母沢御用邸は、大正天皇時代の御用邸(明治31年(1898)竣工、原町・上本町・上大工町とその付近の土地を買収してできる)である。更に、「古民家 日光」の玄関の表記で、今から140年前(明治15年)の建物ともある。

 この宮内省の発足時期(明治2年)と田母沢御用邸の竣工時期(明治31年)、更に、玄関に掲げてある今から140年前の建物(明治15年)の3件を総合して、どう判断して、二代目が藤太郎か、三代目が藤太郎か決めることになります。

 しかし、判断が付かなくて、その後、令和4年(2022)4月20日に、某氏にお付き合いいただき、「河内屋」の菩提寺に行って来ました。すると、”墓誌”に藤太郎の名を見つけ、藤太郎が三代目だということが分かりました。3日後、再度、菩提寺に行って、二代目が、國吉(明治38年没)だったのではないかと思われました。

 すると、初代・・・孫七  二代・・・國吉  三代・・・藤太郎  四代・・・正次郎  五代・・・正國 となります。

 推測してみると、それぞれの代の方が活躍された時期は、初代(孫七・没年不明)・・・江戸時代のみ 二代目(國吉・明治38年没)・・・江戸と明治時代 三代目(藤太郎・昭和6年没)・・・明治・大正・昭和時代 四代目(正次郎・昭和36年没)・・・昭和時代 五代目(正國・平成18年没)・・・昭和・平成時代 となるでしょうか。

 四代目が、正次郎さんで、五代目、正國さんのお父様です。銀座で料理修行を積んだそうです。また、五代目の正國さんは、上野の鰻屋・弁慶と結婚式場明治記念館とで、修行をされたそうです。

 五代目の正國さんは、平成18年に60歳で、他界されました。お子様は、3人いらっしゃいますが、小さいときには、《家業を継ぎたい!》などといっていたようですが、3人とも異なる道に進んでしまいました。奥様が、お一人で、お店(自宅)に住んでいたそうですが、5年ほど前に大怪我をなさり、それをきっかけに家族で相談して、今回のお店を手放すことにしたそうです。

 西町には、割烹料理屋さんが3軒あって、高井家・二葉、そして、河内屋の3軒でした。3軒とも「割烹」でなく、「料亭」に当たります。我々は、割烹と料亭とを区別できずに使って、割烹料理屋といってしまっています。

 続いて、リニューアル古民家を画像でご紹介いたします。

 リニューアル古民家の内容をご覧になりながら、従前の立派だった「河内屋」をお偲び戴ければと存じます。

「古民家 日光」の内部①

「古民家 日光 」内部② 河内屋のリニューアル後のギャラリー展示スペースⅠ
「古民家 日光」 内部③ 河内屋のリニューアル後のギャラリー展示スペースⅡ
「古民家 日光」 内部④ 河内屋のリニューアル後のギャラリー展示スペースⅢ
「古民家 日光 」内部⑤ 河内屋のリニューアル後のギャラリー展示スペースⅣ
「古民家 日光」 内部⑥ 河内屋のリニューアル後のギャラリー展示スペースⅤ
「古民家 日光 」内部⑦
「古民家 日光」 内部⑧
「古民家 日光 」内部⑨
「古民家 日光」 内部⑩
「古民家 日光 」外部① 裏出入り口
「古民家 日光 」外部② 庭園
  「古民家 日光」 即ち 河内屋の裏口    看板にある『裏座敷三層眺望絶佳』の面影あり

 この写真は、古いもののようですが、往時の賑わいが偲べる素晴らしい画像です。河内屋は、玄関からは、1階建てのように見えますが、裏口から見ると3階建てになっています。即ち、玄関から入ると、裏口から見た2階に繋がっています。ですから、階段を上ると最上階の3階に行けることになり、降りると、裏口から見た1階で、外に出られます。

 今回のリニューアルは、玄関から入った1階 即ち 裏口からの2階は、昔の「河内屋」の面影を残しつつ、中心は『ギャラリー展示スペース』に、しかし、玄関から入った2階 即ち 裏口からの3階は、昔の「河内屋」の畳の間の『お座敷形式』にされていました。でも、畳の間にもテーブルが入り、《お座り》でなく、高齢化社会を意識した椅子を使った《腰掛スタイル》にしてありました。

 どんなお店がお借りして入っても、ご自分で営業されても対応できる立派なものです。勿論、ネットが使えるように”WiFi” 設備も完備しています。今は、貸ギャラリーと喫茶程度の営業をされていらっしゃるようですが、まだまだ利用価値満載の建物で、もったいなく思っています。いずれ大化けするかもしれません。

 最後に、『河内屋』を買い取って、リニューアルオープンさせた(株)クロスウェーバーも、簡単にご紹介もさせて戴きます。 

 まず、グループカンパニーとして、(有)アートステーションと(株)クロスワークの2社を傘下にされていらっしゃいましたが、(株)クロスワークは、吸収されて、傘下は、1社で、(有)アートステーションだけのようです。

 そして、クロスグループには、表具部と経理部、木工制作部の3部門を、(有) アートステーションには、サイン事業部を、トータル4つの部門を有しているようです。

 また、(株)クロスウェーバーの木工制作部には、船橋工場と大阪工場という2つの工場があるようです。 



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