⑯沼尻観音と沼中稲荷神社、そして、沼上稲荷神社へ

 この本町は、中本町・下本町・袋町・四軒町、そして、新しく出来た自治会 寂光を併せた町名である。この本町の中の「下本町」を中心にして、「中本町」の一部を含んだところに存在したと伝わる《沼》の話を取り上げたい。
 本地区に現存する「沼尻観音」と「沼中稲荷神社」との間には、かなり距離がある。この2つが文字通り‟沼尻“と‟沼中”であるとすると、‟沼頭“にあたる地域はいったいどのあたりにあったのかと考える。この‟沼頭”の位置が《沼》の大きさを解く鍵となるからである。
 しかし、その実態は分からない。分かっていることは、本町の中の下本町が管理している『沼尻観音』と個人宅(近藤家)で管理している『沼中稲荷神社』が存在していることである。そしてそこに付随する箱書きや幟旗等に記された以下の文字記録である。
正一位沼尻稲荷大明神 沼内稲荷神社 正一位沼中稲荷大明神 正一位沼尻稲荷大明神(明治42年2月初午) 沼内大明神 正一位大明神等など。
 では、「沼尻観音」と「沼中稲荷神社」のご紹介から

1.沼尻観音と境内公民館・家体庫・碑群等

沼尻観音1 (沼尻観音の全体の画像)
沼尻観音2 (沼尻観音のご本尊の画像)
下本町の家体庫や公民館
沼尻稲荷神社(正面全景)
「正一位沼尻稲荷大明神」の大行灯があった
沼尻稲荷神社(正面近景)
「正一位沼尻稲荷大明神」の奉納大行灯があった
弁才天の碑:表
弁財天の碑:裏(「本町1丁目」の記載あり)
梵字の碑:表
梵字の碑:裏(「本町1丁目 講中」の記載あり)
水神の碑 前面
水神の碑 裏面(大正12年12月水道新設為記念の記載あり)

2.沼中稲荷神社と境内鳥居・祭典器具等

沼中稲荷神社
入り口の石鳥居
沼中稲荷神社と木製の赤鳥居
沼中稲荷神社・外
沼中稲荷神社と木製の赤色鳥居
沼中稲荷神社祭典機器(沼内稲荷神社の記載あり)
沼中稲荷神社の幟旗
沼中稲荷神社の一対の燈籠
一対の燈籠の記載事項
奉納 帝国電燈株式式会社
宇都宮支社日光事業所会員一同
大正15年2月 初午

 続いて、《沼頭》については、
 《“沼”は、存在したのか、それはいったいどのような“沼”であったのか、謎は深まるばかりである。》このことについての情報提供のご協力をお願いしたい。と記したところ、令和3年3月中旬に、我が自治会の某氏より"沼上神社稲荷“の存在情報が戴けた。その稲荷神社は、袋町の自治会で管理されているそうなので、4月2日に自治会長に立ち会って戴き、調べてまいりましたので、ご紹介いたします。
 現地は、旧袋町の上の方で、旧袋町自治会で管理しているお稲荷様でした。画像は下記のとおりでした。

3.沼上稲荷神社と境内碑群・幟旗等

「沼上稲荷神社」の入り口付近、奥に鳥居と赤い本社が見える。
立派な鳥居、二重にあったとか、鳥居の右足もとにもう一つの鳥居の台石が見られる。
沼上稲荷神社(正面近景①、一寸上から撮り過ぎ、ボケてもいる。機会があれば撮り直したい)
沼上稲荷神社(正面近景②、立派な本社が窺い知れる)
幟旗(沼上稲荷神社の名が入っていないのが残念!)
沼上稲荷神社への奉納五色の紙旗1
沼上稲荷神社への奉納五色の紙旗2
      奉納燈籠一基
石の祠入りした石仏いや菅原道真公か、と弁財天

 これで、″沼上“ ‟沼中” ‟沼尻”の3つが揃いましたので、沼の存在やその規模、そして埋め立てをして、現在のようになった時期などにも考えを広めてみました。

インターネット検索によって、2つの文言を見つけましたので、ご紹介いたします

 先ず一点目は、《 西町地区は、江戸期の町割の際に沼地・湿地であった場所を埋め立てて成されています。 その町割りの姿は、今も町並みに色濃く残っていますが、本町筋(現在の御用邸前通り)沿いに現在も残る「沼尻稲荷」が、「沼」の「尻」であったことを指しており江戸期以前の原風景をその名称で想起させつつ、ひっそりと今に伝えています。(同地区には沼中、沼上のそれぞれ稲荷も存在します。)この地形、特に、高低差が、後の土地利用と西町に暮らす人々の職業に大きく関係してくるわけです。》とあります。
 二点目は、《まちなかに潜む微地形、扇状地の扇頂、奥日光の火山性のスケールの大きな地形… … 江戸時代には「日光八景」の一つに「含満の驟雨」として選ばれている。… 今日は門前日光東町と西町の地形のお勉強へ …残した形で配置すること、などが日光東照宮造営(寛永造替)の時の「原則」として挙げられていた(伊東忠太氏の分析9か条)のではないか、… 》とありました。
 ところどころに《 … 》が入り、読み取りにくいですが、“沼上” “沼中” “沼尻” の文言が出てきたり、西町地区は、江戸期の町割りの際に沼地・湿地であった場所を埋め立てて成されていること、その時期は、日光東照宮造営(寛永(1624~45)造替(1635~1636))の時とあり、西町の地形を残した形を「原則」としたらしいなど、興味深い。また、古地図もありましたので、現在の地図と上下で比べられるようにしてみました。

参考文献等:日光び地形学会並びに岡井 健氏
現在の地図(旧下本町・中本町・袋町に跨る相当大きい沼)
寛文年間(1661~1673)の西町の景観

参考文献:『日光東照宮の成立 近世日光山の「荘厳」と祭祠・組織』 山澤 学著



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