⑧日光総合会館

今の日光総合会館
昔の岩崎っ原
昔の日光公会堂
 【今の日光総合会館】は、2市2町1村が合併して新日光市ができる以前の昭和47年(1972)11月に竣工された「日光市総合会館」です。当時の日光市広報を基にしてご紹介させて戴きます。表紙に、市民待望の「日光市総合会館」が完成し、昭和47年11月22日竣工式が開かれました。全館冷暖房はもちろん、屋内運動場も兼ねる大ホール、大・小会議室や 結婚式場も備え、市民の皆さんのご利用はもとより、全国的規模の各種大会の誘致など、観光面での活用にも、大きな期待が持たれますとあった。 また、会館内部として、《ホワイエ》《大会議室》《1階ロビー》《2階ロビー》《大ホールスタンド》《大ホール舞台緞帳》《結婚式場》《地下駐車場》《和室》が 完備していますとありました。建築面積265万㎡、延床面積568万㎡、総工事費3億9千5百万円で、昭和46年(1971)10月15日着工、1カ年の工事期間で、昭和47年11月22日には竣工式が行われました。 しかし、この「日光市総合会館」もよかれとして屋内運動場も兼ねる大ホールにいたしましたが、10年後には、この室内運動場という考え方を捨てて、固定席スタイルの 一般的な大ホールに改築されました。この改築は、着工昭和57年(1982)11月18日、竣工昭和58年(1983)1月15日、2カ月の工事期間でした。
 この【今の日光総合会館】のある場所は、昔、【岩崎っ原】と呼ばれた場所である。この名は、三菱財閥の創始者岩崎弥太郎に代表される岩崎家の所有していたことによる。 この【岩崎っ原】を、戦後栃木県が数百円で、買収し、今の日光市駐車場や総合会館の敷地になっているのである。そして、この敷地は、国道120号線の付替えに、日光軌道のクランク箇所の解消に、日光公会堂(昭和25年(1950)9月1日に建設、建坪708坪(2390㎡)、宇都宮市清原にあった旧陸軍の格納庫の鉄骨等の古い材料の払い下げを受け、これを使って建設される)にと利用され、大いに日光の発展に寄与したところであり、この土地を買い上げてくださった栃木県とお譲りくださった岩崎家の皆様に、深く、深く、感謝申し上げ、【日光総合会館】のご紹介といたします。
 参考文献:『日光市広報』昭和47年12月号 旧日光市広報課編、『安川町百年史』 三木春男編

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