⑤深沙王堂

正面右からの深沙王堂
正面からの深沙王堂
深沙王堂の遠景
 神橋が「山菅橋」「山菅の蛇橋」「蛇橋」などと呼ばれるのは、約1200年前に、勝道上人がはじめてここを渡ろうとした折りの伝説があるためである。約1200年前の神護景雲元年(767)勝道上人が弟子十哲と共に小峰ガ原を出て、日光の峰修業に入り、今の神橋のところに出た。足元は切り立つ絶壁、大谷川の激流が岩をかみ、渡る方法がなかった。そこで絶壁の頂上で柴灯護摩を焚き、一切の煩悩障害を焼き払って、三帰四弘の誓願をはじめ、神仏の加護を求めた。すると対岸に、青と黒の法衣をまとい、沢山のシャレコウベをくびにかけた化神が姿を現し、左手を腰に、右手に赤と青の2匹の蛇をかかげ「われは深砂大王である。上人の難儀を救ってやろう」といいながら2匹の蛇を放った。すると2匹の蛇は互にからみ合い、虹のように美しい橋となった。しかし蛇のウロコが光っていて渡る気になれない。そのうち蛇の背に軟らかい″山菅″が生えた。そこで一行は喜んでこれを渡り、ふり返ると、すでに2匹の蛇は深砂大王の手中に帰り、大王は雲に乗り空高く消え失せたという。
 山菅は麦門草ともいい、万葉集にも″山菅生える″というのがある。深砂大王とは四天王の一人、毘沙門天のことで、勝道上人は後に神橋の北岸にこれをまつった。現在、神橋の北岸、国道をへだてて、真正面に石段と石鳥居のある一角が深砂王の社のあったところである。昭和41年の大風害のとき社がこわされてしまった。昔は扇の要をはずして、この社にあげ、願いごとをすれば何でもかなうという信仰があって、要をはずした扇がたくさん奉納してあったという。
 参考文献:「日光 社寺と史跡」沼尾正彦著

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