⑩大正天皇御製歌碑

匠町の憾満が淵(2)

 憾満ヶ淵は、不動明王が出現する地であるとの伝説を持っていたので、ここを開いた晃海僧正は、大谷川に面した植物園の出っ張りに2メートル余の不動明王の石像を建てた。また、能書家といわれていた養源院三世の山順僧正に頼んで、その岩盤に、約60センチメートル角の大梵字で「カンマン」と刻ませた。更に、対岸の奇岩の上に堂を建て、「霊庇閣」と名づけて護摩壇を作り天下泰平の祈祷所とした。
 この憾満の地は、明治三十五年(1902)の大谷川空前の大洪水で様々なものが流出、昔の面影はない。また、何時の間にか不動明王も姿を消したと昭和三十五年発行の「日光の故実と伝説」には書かれてある。
 しかし、昭和四十八年(1973)に「慈雲寺」、「霊庇閣」が、復元され、幾分なりか、往時を偲べるようになったと思われる。
 大梵字「カンマン」は、山順僧正が修学院学頭の時、延宝八年(1660)から元禄四年(1691)の十一年の間に書かれたもので、この文字は、「弘法の投げ筆」と呼ばれている。

 参考文献:『日光 社寺と史跡』 沼尾正彦著、『日光の故実と伝説』 星野理一郎著

大正天皇御製の歌碑

   衣でも しぶきにぬれて 大谷川
月夜涼しく 岸づたいせり
慈雲寺全景
西町太子堂

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